こんにちは、片桐です。
昔、笠松町商工会青年部で、ゲストを招いて毎月食事会を行なっていました。
その時、お会いしたのが、羽島市で自然保全の活動を行なっている、
ひろりん村の河本さん。
ある喫茶店の入り口付近にこんな記事が貼ってありました。
しばらくお会いしていない・・・いつの記事がわかりませんが、お元気そうで嬉しかったです。
ご主人が長年勤めた会社を退職したとき、
退職金をどうしようか?と、その時、
仲間が集まって活動できる拠点、ログハウスを建てて欲しいとお願いしたそうです。
今から15年前の話です。
■ひろりんタワシ
繊維業が盛んだった羽島市で、くずになって捨てられる残り糸を使い、
編み方を工夫する事で、洗剤を使わなくても汚れがよく落ちる布製タワシが完成。
自分たちのできる事からやっていこう、そして、楽しみながら続けていこうと、様々な取り組みを続けてこられています。
以前、羽島市でガイアシンフォニーという、ドキュメンタリー映画の自主上映会を行ないました。
何度かお会いしていた河本さんにもチラシを持参してお願いしに。
なんともいえない、柔らかな落ち着いた雰囲気に包まれて、
映画以外にも、いろいろなお話をしたことを思い出します。
アレンジメントフラワーや、ガーデニングなどを通して自然とふれあいながら、
自然とともに生きる心豊かな暮らしを実感してもらえれば、との思いで活動されています。
羽島市のお近くの方で、何かの機会にご縁があれば嬉しいですね。
それでは。
こんにちは、片桐です。
先日のプレゼントは、厳正な抽選の結果、
なんと大阪のN様・・・大当たりです。
どうやって運びましょうか??
又相談させてください。
とにかく・・・おめでとうございました~!
さて、先日行なわれた、エリエス・ブック コンサルティングさんのセミナーで、講師の土井さんから、
「なぜ、あなたは今の仕事をしているのですか?」
という問いかけがありました。
なぜ・・・?
当たり前すぎて、深く考えた事もありません。
当たり前の理由は、簡単です。
家業が貸し植木・造園の仕事をしていたからです。
でも、それだけでは今、自分が緑の仕事に対して異常なほどの情熱をかたむける理由が自分でもわかりません。
「緑を通じて、多くの人の喜びを届けたい」
・・・思いつく言葉を綺麗に並べてみても、その一瞬はこれだ!と思うものの、
いつの間にか、忘れてしまっていました。
何故なんだろう・・・頭の片隅にずっとその言葉が残っていました。
こんな時は、自分の頭の透視図をイメージしながら、その斜め後ろの方に、「なぜ・・・」という言葉・イメージを貼り付けておきます。
すると、植木の手入れや、造園作業をしている時に、その言葉からリンクするかのように、ふっとイメージが浮かんくるのです。
今日思い出した話は、倒産しかけた会社を再生させた社長さんのお話です。
僕が仕事を引き継いでしばらくした頃、
植物に対する経験が浅い為、仕事に自信が持てなかった時に勇気をもらったエピソードです。
ある倒産しかけた会社の再生の為、ある人物が社長として赴任しました。
会社や工場の周辺を見て歩き、部下に次の指示をしました。
・会社の玄関を綺麗に作り直すこと
・会社や工場の周りの空き地に木を植えて、全員に世話をさせること
倒産しかけて、自信を失っていた社員達に、これから会社は変わっていくんだ!とはっきり自覚させる為に、会社の顔である玄関が、今のままではいけないと感じたのです。
そして、木を植えて世話をさせる事。
一見すると、仕事に取り組む時間を今よりももっと増やす事が先決です。
わざわざ世話をして、どうしてこんな手間をかけるのか?と皆不思議に思いながらも、しぶしぶ水をやったり、肥料をあげたりしていました。
実は、庭木という言葉を返す事のできない相手を世話する事で、お客様に何か言われる前に、して欲しい事や、望んでいる事を感じ取る「心遣い」を学ばせる事ができるのです。
仕事に対する指示以外にも、そのような様々な心遣いがあり、
潰れかけていた会社の業績は見事に上向き、
見事に再建を果たす事ができました。
ある新聞の片隅に見つけたその記事により、
植物を扱う難しさに苦しんでいた自分は、大変勇気づけられました。
この仕事を続けていく事で、もしかしたら、いろいろな会社の業績を伸ばす秘訣が見つかるかもしれない!
・・・と。
その秘訣が見つかったかどうかは、はっきりと答える事はできません。
しかし、植物を元気にしたい、といつも願い続けてきた事で、
逆に自分の心や体が元気をもらってきたのは、確かな事です。
植物を育てたり、飾ったり、お庭を造ったりする仕事も大切な事ですが、
そんな自分にしか感じられない、植物から学んだ事を伝えていく事も、
自分の役割の一つではないか、と思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
それでは、又。
こんにちは、片桐です。
今年は3年に一度の各務原西高校の同窓会が8月に行われます。
卒業式の前に行われる「各務原西高 同窓会入会式」が今年もあり、
その後、役員と校長先生とで世間話をしながら打ち合わせ。
高校一年生の時、物理を教えてもらっていた篠田先生が、校長先生・・・そして、今年で校長先生も変わられます。
20年近く前の話とはいえ、時の流れを感じますね。
なんだかんだいっても、昔いろいろ教えてもらっていた先生にお会いするのは懐かしく嬉しいものです。
今年の8月に、同窓会が行われる予定ですが、できるだけ先生にもお声かけをしよう、と計画中。
先生は自分のことを覚えていてくれるだろうか?
元気にされているだろうか?
とても楽しみです。
有名な桜並木も、そういえばこんなに大きくなっていました。
20年も経てばそりゃ成長します。
楽しいこと、悲しいこと、いろいろな事があるけれど、
何かを続ける事って大事・・・そんな事をふと思いました。
緑の仕事ももう17~18年近く続けてきて、まだまだやりたい事がたくさんあります。
これからも一所賢明に続けていきます。
2月28日 岐阜市にて栗城(クリキ)さんの講演会が開催。
以前、東京で少しお話を聞いたり、テレビで見たり等、
栗城さんが若くして無酸素単独登頂をいくつも成し遂げている事を知っていました。
実際に近くでお会いする良い機会だと思い、急な話でしたが参加することに。
100~150人ほどの規模かな、と勝手な思い込みとは反対に、
500人が入れるホールがほぼ満員状態。
お手伝いをしているのは、ボランティアスタッフでしょうね。
昔、映画の上映会や、環境問題の講演会でよくお手伝いしていた事を思い出します。
スタッフの方は明るく、屈託のない笑顔で迎えてくれます。
こういう雰囲気は嬉しいですね。
カメラが古くて、多少画像に汚れがあります・・・すみません。
(名機?:ファインピックスF10)
慎重は162cmとのこと。世界で一番小さな登山者ではないか、
とご自身で仰っる栗城史多(クリキ ノブカズ)さん。
6000m級の山をいくつも制覇し、エベレスト対策に8000m級のチョ・オユーも単独無酸素で登頂に成功。
どんな強靱な体をしているのか・・・と思うと、実に小柄な普通の男性。
実際にトレーングジムで計測すると、肺活量は人並みで、脚力は一般男性以下の力だと判明した、など・・・信じられないお話。
人並みでどうしてそんな凄い事ができるのか、不思議です。
8000m級の山に、単独無酸素で登頂する・・・と聞くと、
あの人「ラインホルト・メスナー」さんを思い出します。
無酸素で山に上る時の話が紹介されています。
ラインホルト・メスナーさん
「私は山を征服したいのではありません。登れるということを証明したいのでもない。ただひたすら、私は自分を知りたかったのです。この有限の肉体をもった裸の私が、生命の存在を許さぬ地の地帯で、どこまで命の可能性を広げる事ができるのかを知りたかったのです。だから、大きな組織や科学技術の助けを借りて山に登ることは、私にとって意味がなかったのです」
「スピリット(霊性)、マインド(知性)、ボディー(肉体)の調和こそ、人間本来の姿である」
と書いています。
7500mを超える世界は、デスゾーンといい、眠る事はすなわち死を意味します。
マイナス30度近くにもなる寒さの中、3日間近く眠ることもできず、高山病で頭痛に苦しみながらの登頂。
何の為にそんな苦しい思いをするのか?
僕には正直分かりません。
一般の人に限りなく近い栗城さんのお話は、そんな疑問に答えてくれるのではないか、と感じさせました。
栗城さんはいつもビデオカメラを持っていき、登る途中の様子を撮影しながらの登山。
単独でどうやって??
と思うと、実に単純な話。
三脚で固定したカメラの前を登り、ある程度進んだら引き返してカメラを取りに戻る!
プロの登山家から(山をナメテイル)と怒られそうな事を栗城さんはしています。
ちょっと変わっている・・・と素直に思います。
でも、そういうのは嫌いじゃないです。
お話の中に、自分でも使えそうなヒントはたくさんありました。
執着はダメ・・・すれすれの所でも無理だと判断したら下山をする。命があれば再度挑戦すればいい。
山に登る事が名誉や、お金の為なら無理をしても・・・と思うのだろうけど、栗城さんにそんな執念は無いように思える。
偶然が重なり山に登る事になった栗城さん。
目標を決めて挑戦をするが、状況を判断し、あっさり断念する事もできる。
ナチュラルパワーを感じます。
自分たちの毎日の中で、目標をもって、勇気を出して挑戦し続ければ、栗城さんのように、いつか8000m級の山に登るような事も成し遂げられるかもしれない。
そんな希望を感じる事ができるお話でした。
最後に、山に挑戦する前に、必ずお墓参りに行く・・・とのお話。
自分一人で生きているのではない、大きなつながりの中で生きている事を忘れない栗城さん。
そんな栗城さんだから、生と死が隣り合わせの極限状態の中から屈託のない笑顔でスキーをしながら帰ってこられるのだろうか。
これからも応援してます。
頑張ってください・・・が、無理はしないように(笑)
貴重なお話、ありがとうございました。
主催者・スタッフの皆様、ありがとうございました。
昨日、東京で「最強の自分マーケティング13」・・・伝説の社員になれ実践編セミナーが行なわれました。
前回は間違えて品川駅で降りて、山の手線で新宿まで行き、余分な時間がかかってしまいました。
今回はちゃんと東京駅で降りて、中央線で新宿まで14分。ちょっとは学習しましたね。
今回のセミナーは実はセミナー代(1万円)が急遽キャッシュバックすることになり、2時間で180席が埋まってしまった、というエピソードがあるのです。
僕は、最初のセミナー案内が土井さんから来た時、すぐに申し込んでおいたので助かりました。
その後、キャッシュバックが決まったお知らせのメールを出したとたん、2時間で満員になってしまったのです。
後で・・・と思っていたら、きっと入れなかったでしょうね。
とにかく、あっと思ったら行動してみる・・・それも土井さんがよく言う言葉です。
セミナーでは、まず、ワークが行なわれていました。
実は、開始時間が7時と勘違いしていて、6時30分からだったので、ワークの終了間際に会場にすべり込みました。
ワークでは、1000万円あったら、何に何%であなたはお金を使いますか?と
今日のキャッシュバックの1万円で、あなたは何をしますか?
といものでした。
答えを見ながら、土井さんがコメントをしていく・・・1000万円の使い方も人によってホント様々です。
辛口コメントの土井さんいわく、
・「お金を50%エステに使うという人がいますが、
それが本当にメリットを産むのかどうか?見極めた方がいい」
確かにそう思うかもしれないけど・・・普通は言わないコメントですよね。
それを言うのが土井さん。
プラス、その後しっかり理論を展開するのも土井さん。
・「以前、雑誌の編集でたくさんの表紙を飾るモデルさんと接してきた中で、内面の充実した人、何か自分なりの目標を持っている人は、目に何ともいえない力をもっている。その人が雑誌の表紙を飾ると確かに売上があがりました。外面の容姿にお金をかけてきちんとメリットの出る人も確かにいるが、内面を充実させた方がよりその人らしい成果を生み出す事ができるかもしれない。選択と集中をきちんとおさえること。投資とは、その成果を自分の長所に絞り込んで行なった方が最初のリターンは大きい」
この通りには言っていませんが、大まかにこのようなお話だったと思います。
結構早口で、情報量が多いので、メモが間に合いません。
2つ目のワークでは、
キャッシュバックの1万円で何をしますか?の項目に、(エリエスブックコンサルティングのセミナーCDを買う)という項目があります。
・「嘘でもいいから、ここは、セミナーCDを買うに丸を付けるもんですよ」
・「もし収入が少ないというのなら、それはあなたのお金の使い方が間違っている事に原因がある」
・「投資の4つのパターンとして、浪費(買うことでマイナスを産み出す)、単なる消費、そして、自己投資。その自己投資の上にある投資とは何か? それは他者投資をすること。」
ここから先は、土井さんが言おうとしていたことを自分なりに想像してみたことですが、
他者投資をする・・・例えば、セミナーに来ていた人に食事を奢るのも他者投資の一つだと思います。
その中で、投資効果を最大にしようと思うのなら、一番投資をして成果の出る人に投資をした方がいい、ということになります。
一番効果のでる人・・・このセミナーを主催している土井さんおよび、会社に投資をする方が一番効果が高い。なぜなら、集まる人の人脈、情報量、全ての集まる中心がそこだから。
だから、嘘でもいいから、セミナーCDを買う、に丸をつけなきゃ、と思える人は投資の選択が間違っていない、といえます。
土井さんいわく、「自己投資の為の自己投資はダメ」
僕が思うには、他者に投資する人物になる為の自己投資こそ、もっとも価値の高いもの。
これはよく考えたら、自分の仕事では当たり前のことですよね。
植物の生育や、庭木の剪定の技術を覚えるのは、お客様によりメリットを出すため。
今は自分の技術を磨くために仕事をする時代ではない、と考えています。
「この植物がいい植物だから置く」のではなく、
「この植物を置くことで、この場所がこんなにセンス良く見えるから、ここに置く価値があります」、と言えるかどうか。
仕事に真剣に打ち込み、きちんと成果を出している人なら、
うなずける事の多いお話しだと思います。
・・・きっと続く。
ふと、仕事をしたり、大人数で集まったりしながら、いろいろと浮かんでくる事があるので、忘れないように書いておきます。
仕事の問題があったり、人と人のトラブルなどを見たり聞いたりする中で、
ふと、問題の本質・・・って何だろう?といつも考えます。
その時、考えるベースとなるのが、
「根本的に人は何のために産まれてきたのだろうか?」
という問いです。
そこから考えを進めると、問題に対して一番根本的な解決方法が見つかる気がするのです。
何でこんな考えをするようになったか、と考え出すととんでもなく長くなるので、今回は省略。
思考があちこちにいくと、収集がつかないので、
今回の思考の原点に戻ると、
「私たちが問題だと思うできごとの本質はなんだろうか?」
ということです。
やはり、どんな場合の問題に対しても、
一番良い答えになりそうなのが、人が生まれてきた理由・・・を知る事だと思います。
問題が起こった時、その場その場で対処ばかりしていると、
あっという間に時間は過ぎてしまいます。
人が生まれてきた理由・・・その一つとして、
例えば、答えそのものが分からなくても、
最後の場面を思い浮かべて考える事で、その対処が本当に正しいのだろうか?
が分かると思います。
例えば、自分がもし寿命が尽きようとしている、ベッドにいるその瞬間だとして、
同じ問題が起こった時、どういう解決方法を選ぶか?
それが、人として産まれてきた理由に沿うことのできる、解決方法の一つになると思うのです。
もし、何かの出来事で、知り合いと喧嘩になったとします。
そしてその瞬間、自分が命を燃え尽きようとしている立場だったとしたら、
同じように腹を立てたままでいるでしょうか?
自分だったら、「もう、いつまでも怒っていても仕方ないや」と思うはずです。
そして、その考えをどこまで維持できるか?
と考えます。
どこまでの出来事を、「もう、いいや」と手放す事ができるでしょうか?
きっと、自分の事なら手放す意思は自分でコントロールできると思います。
ある意味、それが他人にとって良くない事だ、と思った時、
「バカヤロウ!もう止めろ」って言いたくなると思う。
「そんなバカな事はやめろ」って、それこそ命をかけて言う。
人は自分の事よりも、他人のことでそれこそ我を忘れる事ができると思います。
なんだか、さっき考えていた事と全然違う方向に進んできました。
言葉っていうのは、恐ろしく制限のある表現方法なんだと思います。
思考は、この瞬間に映像で、音楽で、立体的に何層にも渡って、縦横無人に心の中を駆け巡ります。
何かと何かのイメージが連想しあって、まるでピアノの音のように新しい重なりの波動が広がっていく。
それを、言葉に出そうとすると、とてつもない量となっても、そのものを表現する事は難しい。
難しい事ではあるけれど、その言葉を紡いでいかなくては、自分でそれを認識する事ができないのだから。
これからも、あきることなく続けていくだけ。
これも、ふと思いついた事を記録しておきます。
ユダヤ人に古くから伝わる聖典というものがあり、タルムードというそうです。
ラビ・M・トケイヤーさんの書かれた本には、読めば読むほど味わいのあるお話が書かれてあります。
ユダヤ人を、ユダヤ人たらしめる教えが書かれたタルムード。
その膨大な資料の中から、分かりやすく紹介してくれます。
この本を読むと、ユダヤ人とは?その一端を垣間見ることができるかもしれません。
その中の一つ、
「タルムードの眼」の章にある言葉。
自己保存は、次の3つの場合を除いてあらゆるものに優先する。
ただし、次の3つの場合には、自己を捨て、命を捨てたほうがよい。
1.他人を殺すとき
2.不倫な性関係に入るとき
3.近親相姦をするとき
命を捨てる事をよいというわけではないと思う。
自分を捨ててかまわない、と思わせるほどしてはいけない事。その戒めの意味だと思います。
最近では、性への感覚がだんだん麻痺してきて、(これは情報が氾濫している事の弊害かもしれない?)スポーツ感覚だ、という人もいます。
スポーツならまだましで、性犯罪というのは、本当に深い苦しみをお互いにもたらす、悲しいできごとです。
ふと、聖書の言葉を思い出しました。
イブの食べた「禁断の果実」
禁断の果実は、知恵の実といわれ、それを食べたことにより、知恵を持ったため、欲望を産み出し、その我欲の為、アダムとイブは天国から出なければいけなくなった・・・というお話しだったような記憶。(違ってたらすみません)
禁断の果実とは、
食べる前は、世界で一番甘い果実のような気がするが、
食べた後は、世界で一番苦い果実となる実のことをいう
自分自身をいかに自分たらしめるか?
タルムードみたいに、自分らしさの中のしてもいい事、してはいけない事、など書いてみるのもいいですね。
ふと、思いついた事を自分の覚えとして書いておきます。
今日、異業種交流会での食事会があり、もつを食べながらいろいろな話をしてきました。
雑談もあり、趣味の話しもあり、突然経営の話になることもあります。
今度、研修を行なう・・・という話しがあり、内容についていろいろな意見がでます。
僕自身は、いろいろな仕組みも大切だけど、経営の一番大きな要素は社長のやる気ではないか?と考えています。
それに対して、「社長のモチベーションさえあれば、後はそれほど関係ないというのなら、モチベーションを上げることだけすればいいの?」
と言われ・・・??
そう言われると、なんだか言いたかった事と離れる気がする。
社長のやる気・・・って、どう表現すればいいのだろうか?
ふと、思いついたのは、社長(トップ)の本気、という言葉。
モチベーションを上げなきゃ・・・では、本気ではないという感じがします。
本気ってことは、本当に単純に、そうしたい!と心から思えるってことかな。
本気だったら、あきらめない。
本気だったら、あの手この手を考える。
本気だったら、どれだけこの目標が素晴らしいか、どんどん言葉が自然にでてくる。
本気だったら、こんなにいいこと、皆で達成しようよ、と毎日でも言える。
本気だったら、自然と熱がこもる。
モチベーションを上げる必要のない事が、本気だっていう事かもしれない、という気がしました。
本気になるには、本当にそう思うことが必要。
できるだけ素直に生きること。
できるだけ、自分にも他人にもうそをつかないこと。
本当は自分は何かしたいのか?いつも振り返って問いかけてみること。
熱くなって打ち込む事も必要だけれど、どこかでふと冷静に客観視をして今の自分の立ち位置を見ることができる。
本気になれるととってもいい感じがします。
あの手この手を打つ時に、何かを変える時の道具として、仕組みは大事になります。
その為にいろいろな仕組みは勉強しておいた方がいい、と。
本気で生きていると、命を大事にできる。
命を粗末にする事は、とっても大きな勘違いをしていると思う。
自分の命?って錯覚じゃないんだろうか。
誰かが言っていましたが、人の命は宇宙の暗黒の中からでてきて、又そこに帰っていくもの。
だから、この命はその宇宙のよく分からない物から預かったもので、
預かったものだから、大事に磨いて返してあげるのが、その人それぞれの役目ともいえるんじゃないか。
それを放棄するのは、とんでもない勘違い。
ユダヤの古い教えに、こんな話しがあります。
ある賢人が急いで歩いているのを見て、「先生、どうしてそんなに急いでいるのですか?」
と、「よいことをするために、急いでいるのだ」
すると、賢人は公衆浴場に入り、体を洗い始めました。
周りの人が驚いて「それのどこが善行なのですか?」
と聞くと、
「ローマ人は、たくさんの銅像を毎日綺麗にしている。が人間は銅像を洗うよりも、自分を洗った方がはるかによいことなのです」
人にできる事は、生きている間は、一所賢明に自分を洗うこと。
シンプルな目標はこれでいいのかな、と思います。
片桐園芸では地域密着によるきめ細やかで心のこもったサービスと充実したメンテナンスを行うため、お客様へのサービスを考えて、 配達エリアを限定させていただいております。
【岐阜県】