こんにちは、片桐です。
天気もこのところイップク模様。
曇りで過ごしやすい日が続いています。
芝の張替えの仕事や、庭木の剪定が続き体に張りを感じ始めた僕にはありがたいかぎり。
休憩時間にストレッチなどをしてケアに務めています。
一般的にサツキの花が咲き終わる頃に夏前の剪定をします。
春から伸び始めた枝を一度切り戻し、間引き、樹形を整えます。
混みすぎた枝を切ることで、虫の発生を抑える役目もあります。
消毒が嫌いな方には夏前の剪定をおすすめ。
又ご検討ください。
さて、今回は3冊目の本の紹介をしたいと思います。
ヘルマンヘッセ、山野忠彦さんと続いてきた、思想に大きく影響を受けた本。
●福岡正信さんの「<自然>を生きる」
その仙人のような風貌とお話。
「自然に任せて、肥料や農薬をかけなくても美味しい実を収穫する事ができる」
「田植えなどの手間をかけなくても、籾殻を団子にしてまくだけ」
「野菜なども草ぼうぼうの中に種が自然に落ちて勝手に大きくなっている」
「かえって人間は何もしない方が上手くいく」
有機農法にあこがれる人にとって夢のような事ばかりです。そんなに簡単ならどんどん広まっていくだろう。そう思っていたものの、現実にはそうはいきませんでした。
実際にネットで検索すると、賛否両論・・・実践するのは難しいが、その思想に心惹かれる人が多いのも確かです。
何がそれほど人を惹きつけるのでしょうか?
緑の仕事を17年近く続けてきて、何となく分かってきたお話もあります。
もう一度福岡さんの言葉を心新たに読み返してみたいと思います。
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麦は麦の種から発生し、お米は籾殻から誕生し、稲が一万倍に増えただけである。柿は柿の種から生まれ、柿の葉も根も花も実もみな柿がつくる。人間の手や知恵は何一つ使うことなくできることを、利口な人間ほど知らない。人間の知恵は、米粒一つ、柿の葉一つ作れない事がいまだにわかっていない。
45年前の若いとき、一切無用だ、人知は無駄だ、生態学的に見たり、農耕法を考えて作ったりすることは無駄だという哲理が先行してありまして、それでは放ってみろとなりますが、放ったのでは放任になってしまいます。そこで自然のなかで自然を生かす、自然に仕えてさえいれば自然が人間を生かしてくれるのではないか、強いていえば、自然とは何かということを頭に置いて、自然を壊さないように、邪魔しないようにと思ってやってみただけです。
そうです、ニワトリなどでも朝から晩まで、夜が明けてから忙しそうに走り回って、あれを拾い、これを拾い、忙しいんです。自分たちもあれこれプランを立てているというより、作物に引っ張り回されているんです。
毎日、稲の葉っぱでも何でも3日とか5日に一枚ずつ葉ができます。その自然の移り変わりの激しさ、変化につられてじっとしていられない。自然のお手伝いをするのにきりきり舞いをさせられ、自然に引っ張り回されて動く。
働くということは自分は好かないんですが、仕えることですね。仕事です。事に仕える。自然に仕える。自然というのは簡単にいえば神だと思います。神に仕える。ダイコンに仕える。稲に仕えるのは楽しい。そうするときりきり舞いをさせられる。多くは人間の業にすぎないが、それで作ろうとする気持ちが起きるんです。それだけ余分に働かされてみたりするわけです。
砂上の、それこそ砂漠化にしても、サハラ砂漠だけが砂漠ではなく、人間の心の砂漠の方が出発点だということでしょう。
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●福岡正信さんの「<自然>を生きる」
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