こんにちは、片桐です。
いつもご覧いただき、感謝申し上げます。
このHPでは園芸の仕事に関わる毎日の中から、
木や花の名前であったり、剪定の仕方であったり、育て方のコツであったり、
園芸を好きな人、園芸の仕事をしている人に向けて情報をお送りしています。
最近、週に一冊、自分が今まで読んできた本の紹介を始めました。
まだまだ自分の言葉では語りきれない実に奥の深い植物の世界。
又興味があれば是非ご覧いただきたいと思います。
さて、第2回にご紹介するのは、”樹木医”という言葉を作ったとされる山野忠彦さんの「木の声が聞こえる」です。
思えば、僕が友達の花屋さんから「この子は木と話ができる変わった子だよ」と言われる原因となった本。
この本を読んで木に対する仕事の仕方、考え方、接し方など教えてもらいました。
養子として山野家に入り、朝鮮での商売があたり裕福このうえない暮らしをした子供時代。
養子であることを知りショックを受け、父の死により残された莫大な財産を5年で使い果たす。
「ソウル一のバカ息子」から、一転、女馬賊の処刑を見た事から生きる意味について自問自答。
「本当に自分が心から好きだと思える事に打ち込もう」と心に誓い、商売をしながら山林経営を始めました。
その山林経営を通じて、植物に対する興味を持ち、学ぶ事の楽しさを知ります。
戦後日本に戻ってきた山野さんの目にうつったのは焼け野原の都会と、復興のため、木を使われて荒れ果てた自然の山々。
その日本の山々の調査の仕事をもらい、2年近く歩き回った中で心を惹かれたのが神社にある古木・老木。誰にも気づかれず、本当に長い間生き続けてきた霊木たちもすっかり痛み・傷ついていました。
「この木たちを何とか救ってやりいたい」
山林経営の時の知識を元に、新たに研究を開始、誰に知られる事も無くコツコツと木の治療と研究を続けます。
現場での実践と、絶え間ない研究。
必用な道具は無ければ全て手作りする。
それは、樹木に対する愛情があればこそできる事です。
自然を、樹木を心から愛する山野さんの言葉には、なんともいえない優しさが感じられます。
その一言、一言には、しっかりとした自信と安心感があります。
(間違った事を言ってない)・・・とどこか心で感じているのかもしれませんね。
樹木医という言葉を作るきっかけとなった山野さん。ぜひ、この本を多くの人に読んでいただきたいです。
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この樫の木が、念願の、記念すべき治療一千本目となった。
内心では、一千本目に到達するまで、私の生命が続くだろうかと、不安を感じていた。
しかし、一本、二本、また一本と治療していくうちに、不安は消しとんでしまった。
樹が必ず私を助けてくれる・・・一千本を治療するまでは・・・。そえれがたとえ百歳をこえたときであっても、樹に対する不思議な信頼感が確かになっていった。
そして、八十八歳の昨今、ついに成就する日を迎える事ができたのである。
人間には医師、動物にも獣医が存在しているように、樹木にも植木屋や園芸家ではない、医者がいていいはずだ、そう考えて思いついたのであった。
現代人は五感を頼りにしすぎている。
欲望を満たすためには、五感だけが発達していればすむ。しかし、人の心を推しはかる思いやりや、自然界にたいする愛情は、言葉には出せない第六感というものが重要になってくる。
いつもいつも、これでいいと満足したことがないので、道具ひとつにしても、もっちいものに改良したいとか、見つけたいと思っている。それもこれも、自分が使いやすいものを持っていたいということではなく、樹木が自然に受け入れてくれるもので、治療にあたりたいからだ。
少しでも痛い思いをさせたくないし、道具が悪いばかりに時間ばかりくって、不愉快な状態を長引かせてはいけない。なるべく速やかに、気持ちよく治療を受けた、というふうに感じてもらいたいからなのである。
中国の大儒、王陽明の詩
険夷原不帰胸中
何異浮雲過大空
夜静海涛三千里
月明飛錫下天風
混沌とした社会の中で反発もしたが、社会が大きくゆがんでいたため、自分はあまりにも無力であった。こうして船上にあって思うに、地上で人間どうしのいかなる争いがあっても、自然の営みは、そのようなことにはいっさい惑わされず流れていく。そして、大空を過ぎてゆく、真に自由な雲々は、私の心に、どうにでもなれという開き直りや、新たな生き方や、悟り、皮肉さえも感じさせた。
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