ふと、仕事をしたり、大人数で集まったりしながら、いろいろと浮かんでくる事があるので、忘れないように書いておきます。
仕事の問題があったり、人と人のトラブルなどを見たり聞いたりする中で、
ふと、問題の本質・・・って何だろう?といつも考えます。
その時、考えるベースとなるのが、
「根本的に人は何のために産まれてきたのだろうか?」
という問いです。
そこから考えを進めると、問題に対して一番根本的な解決方法が見つかる気がするのです。
何でこんな考えをするようになったか、と考え出すととんでもなく長くなるので、今回は省略。
思考があちこちにいくと、収集がつかないので、
今回の思考の原点に戻ると、
「私たちが問題だと思うできごとの本質はなんだろうか?」
ということです。
やはり、どんな場合の問題に対しても、
一番良い答えになりそうなのが、人が生まれてきた理由・・・を知る事だと思います。
問題が起こった時、その場その場で対処ばかりしていると、
あっという間に時間は過ぎてしまいます。
人が生まれてきた理由・・・その一つとして、
例えば、答えそのものが分からなくても、
最後の場面を思い浮かべて考える事で、その対処が本当に正しいのだろうか?
が分かると思います。
例えば、自分がもし寿命が尽きようとしている、ベッドにいるその瞬間だとして、
同じ問題が起こった時、どういう解決方法を選ぶか?
それが、人として産まれてきた理由に沿うことのできる、解決方法の一つになると思うのです。
もし、何かの出来事で、知り合いと喧嘩になったとします。
そしてその瞬間、自分が命を燃え尽きようとしている立場だったとしたら、
同じように腹を立てたままでいるでしょうか?
自分だったら、「もう、いつまでも怒っていても仕方ないや」と思うはずです。
そして、その考えをどこまで維持できるか?
と考えます。
どこまでの出来事を、「もう、いいや」と手放す事ができるでしょうか?
きっと、自分の事なら手放す意思は自分でコントロールできると思います。
ある意味、それが他人にとって良くない事だ、と思った時、
「バカヤロウ!もう止めろ」って言いたくなると思う。
「そんなバカな事はやめろ」って、それこそ命をかけて言う。
人は自分の事よりも、他人のことでそれこそ我を忘れる事ができると思います。
なんだか、さっき考えていた事と全然違う方向に進んできました。
言葉っていうのは、恐ろしく制限のある表現方法なんだと思います。
思考は、この瞬間に映像で、音楽で、立体的に何層にも渡って、縦横無人に心の中を駆け巡ります。
何かと何かのイメージが連想しあって、まるでピアノの音のように新しい重なりの波動が広がっていく。
それを、言葉に出そうとすると、とてつもない量となっても、そのものを表現する事は難しい。
難しい事ではあるけれど、その言葉を紡いでいかなくては、自分でそれを認識する事ができないのだから。
これからも、あきることなく続けていくだけ。
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